100日後に英語が話せるようになる37歳独身OL

置かれた場所で咲くということの葛藤

今日は贅沢ルマンドの記事を書こうと思ったんですけど、iphoneで撮影した写真がパソコンにうまく送れませんでした。

せっかくなので、久しぶりに写真なしのお話を書こうと思います。

「置かれた場所で咲きなさい」 といった言葉をよく聞きますよね。

私はここなら自分は輝ける、きれいに咲ける場所がわかっています。

そして実際、今その場所にいます。

しばらくはこの場所にいることになるでしょう。

この場所の中で、不自由が生じることはなさそうです。

ぬくぬくと、温室です。

でも、

ここは私が積極的にいたいと思う場所ではありません。

自分が望んで来た場所ではありません。

ここは安泰なんだけど、もっと身を置きたい場所があるのです。

過去に一度、行きたいと願う場所に身を置くことができました。

望んだことが叶いました。

辛いことがたくさんあって、がまんもして、体調もすこしだけ崩したりして

がんばってがんばって、望む場所に行くことができたのです。

でもこの度

また元の場所に戻ってきてしまいました。

今度は苦しくありません。辛い場所ではありません。

だけど、いたいと願う場所ではない。

こっちの方が実は幸せなのかもしれないけど、

ないものねだりなのかもしれないけど、

でも行きたいところへ行けるようにまたがんばるのか。

タイムリミットもあるかもしれない。

どうするんだろう、私。

そんな毎日なんです。

こんなことで悩めるのは幸せなのか。

贅沢な悩みなのか。

贅沢ルマンドの記事を書きたい。

写真、送れるようになるかな。

お楽しみに。

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