Comedology(コメドロジー)|お笑いを学術的に解剖する

平成お笑い構造改革:【第4回】電波の独占からアテンションの争奪へ:芸人YouTube参入にみる「メディア移行の経済学」

平成という時代の終焉は、お笑い芸人たちにとって「主戦場(プラットフォーム)の強制的な交代」の始まりでもあった。

2010年代後半から加速した、芸能人のYouTubeへの大量参入。それまでテレビという「地上波の帝国」でしか見ることのできなかったトップ芸人たちが、次々と自らのチャンネルを開設し、画面の向こうから直接私たちに語りかけ始めた。

カジサック(キングコング・梶原雄太)氏の先駆的な成功に始まり、中田敦彦氏の教育系コンテンツへの昇華、そして江頭2:50氏のネットでの爆発的な解放。さらには、前述の『ツッコミスター』のように、テレビの賞レースの原型すらもYouTube発で構築してしまう粗品氏の動きなど、その生態系は今や本家テレビを凌駕しつつある。

なぜ、彼らはあれほどまでに強固だったテレビのひな壇を降り、スマートフォンの小さな画面へとリソース(経営資源)を傾斜させていったのだろうか。そこには、メディアの構造転換がもたらした残酷なまでの経済ロジックが存在していた。

限界費用ゼロの世界:電波という「有限の土地」からの解放

経済学において、テレビとインターネットの最大の決定的な違いは、「限界費用(Marginal Cost)」の差にある。限界費用とは、生産量を1単位増やしたときにかかる追加の費用のことだ。

テレビビジネスは、極めて「限界費用の高い」構造を持っている。

番組を1本作るためには、巨大なスタジオ、何十人もの制作スタッフ、高価な機材、そして何より「電波の枠(タイムテーブル)」という物理的に有限なリソースが必要だ。1つの時間帯には1つの番組しか流せないため、参入障壁は極めて高く、椅子取りゲームは苛烈を極める。

しかし、インターネット(YouTube)の世界は異なる。

「動画を1本アップロードするのも、100本アップロードするのも、サーバーの維持費や配信にかかる追加の費用(限界費用)は、プラットフォーム側にとっても芸人側にとっても『ほぼゼロ』である」

この「限界費用ゼロ」の経済学は、お笑いの供給量を無限へと解き放った。テレビのオーディションで落とされ、タイムテーブルから溢れていた有能な若手や、テレビの枠(コンプライアンスや時間制限)に収まりきらなかったベテランたちが、自ら「24時間365日営業の個人テレビ局」を持てるようになったのである。

アテンション・エコノミーにおける「可処分時間の奪い合い」

現代の経済は、物や情報ではなく、人間の「関心・注意」そのものが最も希少な資源となる「アテンション・エコノミー(関心経済)」のフェーズにある。

ミドル・シニア層の多くは、かつて夜のゴールデンタイム(19時〜22時)に家族でテレビの前に座り、同じバラエティ番組を見て笑っていた記憶があるはずだ。当時のテレビは、日本人の「可処分時間」をほぼ独占していた。

しかし、スマートフォンの普及によって、私たちの可処分時間は細切れに分解された。通勤電車の中、昼休みの10分、ベッドに入ってからの30分。この細分化されたアテンションの隙間に、テレビという「重たいメディア」は入り込みにくくなった。

メディアビジネスモデル顧客(視聴者)との関係
テレビBtoB(スポンサー企業からの広告費)大衆に向けて一斉配信(受動的消費)
YouTubeBtoC / ダイレクト(広告原資+ファンビジネス)個人の嗜好に最適化(能動的選択)

芸人たちがYouTubeへシフトしたのは、単に「流行っているから」ではない。消費者のアテンション(関心)がスマホに移動した以上、そこにコンテンツを配置しなければ、長期的には自身の市場価値(タレントパワー)が維持できないという、極めて合理的なマーケティング判断だったのである。

「ロングテール」と「D2C(Direct to Consumer)」のマネタイズ

テレビは「視聴率」という最大公約数の数字を追うビジネスだ。そのため、特定のコアなファンにしか刺さらないマニアックなお笑いは、どんなに質が高くてもゴールデンタイムでは間引かれてしまう。

しかしYouTubeは、ニッチな需要を無限に拾い上げる「ロングテール経済」の聖地だ。

例えば、千原ジュニア氏やケンドーコバヤシ氏が深夜のトーク番組で見せるような、あるいは芸人たちが楽屋裏で話すような「ニッチでディープなトーク」は、マスメディアでは数字が取れなくとも、ネット上では数十万人規模の熱狂的なコアファン(コミュニティ)を形成する。

さらに、YouTubeは芸人に「D2C(Direct to Consumer:消費者直接取引)」の武器を与えた。

再生数に応じた広告収入(AdSense)だけでなく、メンバーシップ(月額課金)、独自のグッズ販売、自社ライブへの直接の集客。テレビ局という「中間業者(ディストリビューター)」を挟むことなく、ファンから直接マネタイズができる構造は、芸人の経済的自立を爆発的に促した。

テレビの露出は「手段」であり、YouTubeや独自のプラットフォームこそが「本拠地(マネタイズの場)」という、主従関係の逆転がここに完成した。

ビジネスの多角化として語る、明日の雑談の「補助線」

このメディアの構造転換は、一般企業における「直販(D2C)シフト」や「DX(デジタルトランスフォーメーション)」の文脈と全く同じロジックで語ることができる。

「芸人がテレビからYouTubeにシフトしたのって、メーカーが小売店や問屋を通さずに、SNSを使って自分たちのECサイトで直接客にモノを売り始めた構造と全く同じなんだよね」

「テレビという『レガシーなインフラ』に依存し続けるリスクを、彼らはアテンション・エコノミーの視点からいち早く察知して分散投資(ポートフォリオ)してたわけだ」

会社の会議や後輩とのコミュニケーションの場で、芸能界のDX事例としてこの話を展開すれば、エンタメのトレンドをビジネススキルへと鮮やかに昇華させることができるだろう。

次回予告(最終回):コンプライアンスの経済学と「持続可能なパレート最適」

こうして、デフレ時代の大量消費、M-1による自由競争、ひな壇という組織、そしてネットへの構造転換を経てきた「平成のお笑い」。

その歴史の地層の上で、今、最も議論を呼んでいるのが「コンプライアンス」の壁だ。

最終回となる次回は、お笑い界におけるコンプライアンスを、感情論ではなく「経済的コスト」「パレート最適」の観点からフラットに分析する。

「昔の方が面白かった」というノスタルジーを超えて、なぜ笑いの世界は健全化の道を歩まねばならなかったのか。そして、その先にある「誰も傷つかない笑い」はビジネスとして本当に持続可能なのか。平成お笑い構造改革、その結論を導き出す。

(第5回へ続く)

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