平成お笑い構造改革:【第5回】誰も傷つけない笑いのコスト:コンプライアンスと「持続可能なパレート最適」

お笑い分析
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平成から令和へと時代が移り変わる中で、お笑い界、ひいてはテレビメディア全体が最も激しく揺さぶられたテーマがある。――「コンプライアンス(法令・社会的規範の遵守)」の壁だ。

「昔のテレビはもっと過激で面白かった」「今のバラエティは規制ばかりで息苦しい」 ネットのコラムや居酒屋の雑談では、こうしたシニア・ミドル層のノスタルジー混じりの愚痴(感情論)が毎日のように繰り返されている。

しかし、この現象を「時代の変化による息苦しさ」という感傷で片付けるのは、知的とは言えない。 お笑い界におけるコンプライアンスの厳格化は、文化的な衰退ではなく、メディアという巨大市場が「持続可能性(サステナビリティ)」を担保するために選択せざるを得なかった、冷徹な経済ロジックの帰結なのである。

シリーズ最終回となる今回は、笑いの境界線とコンプライアンスを、「社会的コスト」と「パレート最適」という経済学のフレームワークを用いて、どこよりもフラットに解剖する。

「いじり」の経済学:格安だった外部不経済のツケ

昭和から平成初期にかけてのお笑いは、特定の個人を過剰に攻撃する「いじり」や、身体的リスク、あるいは差別的なステレオタイプを笑いのタネにする「ハイリスク・高リターン」のコンテンツが主流であった。

なぜそれが許されたのか。経済学的に言えば、当時はその笑いによって発生する社会的損害(精神的苦痛や差別の助長など)という「外部不経済(External Diseconomy)」のコストを、テレビ局も芸人も支払わずに済んでいたからだ。

言わば、環境汚染物質を川に垂れ流しながら、格安で製品を大量生産して利益を上げていた「古い時代の工場」と同じ構造である。

時代お笑いの生産構造コストの負担者
平成初期まで外部不経済の無視(いじり・過激な企画)被害者、社会的マイノリティ(コストの押し付け)
平成後期以降内部コスト化(ガバナンス・自主規制)テレビ局、スポンサー企業、芸人自身

しかし、平成の後期から令和にかけ、SNSの普及によって「川の汚染」がまたたく間に可視化されるようになった。 視聴者や市民社会からの批判は、テレビ局だけでなく、番組にお金を出す「スポンサー企業」のブランド価値を直接毀損するリスクへと変貌した。企業にとって、コンプライアンス違反の番組に投資することは、現代の「ESG経営(環境・社会・ガバナンス)」の基準において、明確な「経済的損失(資本コストの増大)」を意味する。

笑いの製造プロセスにおいて、これまで無視されていた社会的コストが「内部コスト化」されたこと。これが、コンプライアンスの正体である。

笑いの「パレート最適」は存在するのか

経済学には、「パレート最適(Pareto Efficiency)」という重要な概念がある。 「これ以上、誰の便益(満足)も損なうことなく、他の誰かの便益を増やすことができない状態」、つまり、社会全体の資源配分が最も効率的で無駄のない理想的なバランスのことだ。

かつての過激な笑いは、一部の視聴者に「爆発的な快楽(効用)」をもたらした一方で、傷つく人という「マイナスの効用」を生んでいた。これはパレート最適ではない。

では、現代が目指す「誰も傷つけない笑い」はパレート最適と言えるだろうか。

「全員が不快にならないように配慮した結果、コンテンツの毒(エッジ)が消え、誰の心にも刺さらない『無味無臭な笑い』になってしまっては、社会全体の総効用(笑いの総量)は減少してしまう」

ここに、現代のお笑い界が直面する最大のパラドックスがある。 規制を強めすぎると、市場全体のパイ(視聴率や関心)が縮小する。しかし、規制を緩めればリスク(炎上・スポンサー撤退)が跳ね上がる。芸人たちに求められているのは、この狭いトレードオフの境界線上で、ギリギリのナイフエッジを歩くような高等技術なのだ。

次世代へのアップデート:『ツッコミスター』が示す未来

この息苦しい制限(制約条件)の中で、お笑い界はただ衰退していったわけではない。むしろ、この制約をイノベーションのチャンスに変える動きが生まれている。

その象徴的な事例が、前述した粗品氏主催の賞レース『ツッコミスター』だ。

『ツッコミスター』の最大の特徴は、「誰もボケていない、傷つきようのない無機質な対象(数字や色など)」に対して、ツッコミの技術だけで笑いを生み出すという構造にある。 「2040」というただの数字に「丸亀製麺でやりたい放題か!」と突っ込む。そこには、誰も貶めず、誰も傷つけず、純粋な言葉のジャンプ力と文脈の解凍だけで爆笑を生む、極めて洗練された知性が存在する。

これは、コンプライアンスという厳しい市場制約の中で、芸人たちが到達した「持続可能な笑いのパレート最適」のひとつの形と言えるのではないだろうか。

組織のガバナンスとして語る、明日の雑談の「補助線」

このコンプライアンスを巡るお笑い界の構造転換は、そのまま現代のビジネスパーソン、特にJTC(伝統的日本企業)で舵取りを行うミドル・シニア層のマネジメント論に直結する。

「最近のお笑いってつまらないって言われがちだけど、それって企業が『昔は24時間働いて成果出してたけど、今は労務管理(コンプライアンス)の中でどう生産性を上げるか』って悩んでる構造と全く同じだよね」

「『ツッコミスター』みたいな笑いは、厳しい規制(コンプライアンス)を逆手にとって新しいビジネスモデルを開発した、イノベーションの好例と言えるよね」

「昔は良かった」と愚痴をこぼす同世代に対し、あるいはコンプライアンスに縛られて縮こまる若手に対し、この「制約条件が生むイノベーション」という視点を提供してみる。それは、変化の激しい現代を生き抜くための、最もスマートでクールなエールになるはずだ。

総括:平成のお笑いが僕たちに残したもの

全5回にわたって、平成のお笑い史を経済学・社会学の視点から俯瞰してきた。

こうして振り返ると、平成のお笑いは、単なる娯楽の変遷ではなかった。それは、日本経済の縮図であり、社会構造の変化を最もビビッドに映し出す鏡であったことが分かる。

僕たちが熱狂し、涙し、今もなお語り継ぐ彼らの言葉の裏には、時代と戦い、システムに適応し続けた人間たちのプロフェッショナルなドラマが隠されている。

明日、あなたがテレビを点けるとき、あるいはスマートフォンの画面をスクロールするとき。そこにある笑いの裏側に潜む「見えざる手(経済ロジック)」の存在に、少しだけ思いを馳せてみてほしい。世界は、あなたが思うよりも、ずっと知的で、面白い。

(平成お笑い構造改革・完結)

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